【日々レビュー記】『罪と罰』[第1篇‑6]: “偶然”に後押しされた決意

罪と罰

質屋の老婆アリョーナをめぐる雑談を、ラスコーリニコフは安食堂で偶然耳にする。学生は「あの老婆を殺して財産を善良な人々のために使うべきだ」と熱弁し、将校と議論していた。

老婆の妹リザヴェータが“売り子”として評判であること、翌日 7 時に外出する予定など、有力な情報が次々と転がり込む。

ラスコーリニコフは、これら「偶然」を宿命のように受け取り、犯罪計画を押し進める決意を固める。

しかし、いざとなるとアクシデントも発生する。斧を台所で奪うはずが、ナスターシャが居合わせるという“足止め”が起こる。しかし、すぐ庭番小屋で代わりの斧を“偶然”発見し輪紐に隠す。

夕刻、質屋の階段を上り、7時過ぎ──“その瞬間”へと足を踏み入れる。

🧠 感想と考察

リザヴェータが放つ柔らかな光

「年中孕んでいる」と大学生と将校に茶化されたリザヴェータだが、一方で

  • 誰にでも親切
  • 笑顔がすてき

という二重の描写で、サーシャやドゥーニャら“自己犠牲のヒロイン”とは異なる魅力を持っていると感じました。「悲壮感ゼロの善良さ」は、物語の空気を変える力をも持つように感じます。

偶然か必然か――鍵を握るのは「選択」

  • 老婆殺害を正当化する議論を偶然耳にする
  • リザヴェータが偶然外出予定と知る
  • 斧が偶然手に入る

一見「神がかり」だが、現実でも友人とばったり会う・やめたいと思っていた会社が突然倒産する…偶然は日常にあふれている。

偶然そのものが未来を決めるのではなく、それにどう反応するか、という“選択”が決定打になるのではないでしょうか。

ラスコーリニコフは「運命に背中を押された」と感じているが、実は自ら望む“優れた者が劣った者を裁く”世界を実現しようとしているだけのように思えます。偶然は言い訳に過ぎないのではないかと。

大学生の理論とラスコーリニコフの欲望

学生は「1 人の命で数千を救う」算盤をはじくが、そこには

  1. 人間を良・悪に二分する傲慢さ
  2. “悪”と決めた相手の命を軽視する暴力性

が潜みます。ラスコーリニコフはこの論理に共振します。自分は良い人間、優れた人間だと考えているのでしょう。

だから、犯罪を犯すにしてもミスはしないと考えている。「理性と意志を保てる」と高をくくっている。しかし、作中が示すように、犯罪者は正常な判断力を失うもの。今回読み進めた部分でラスコーリニコフが引き起こしたドタバタは、その“前兆”として不気味に際立ちます。

【登場人物メモ】

人物立場・特徴
ラスコーリニコフ貧窮学生。老婆殺害の計画を「偶然」に背中を押され遂行へ。
リザヴェータ・イヴァーノヴナ老婆アリョーナの腹違いの妹。温厚で人助け体質。学生評によれば“誰にでも優しい”魅力的存在。
アリョーナ・イヴァーノヴナ悪名高き質屋の老婆。リザヴェータを虐げる。
大学生 & 将校食堂で老婆殺害の“算術正義”を語る。ラスコーリニコフの動機を刺激。
ナスターシャラスコーリニコフの下宿の女中。偶然彼の計画を足止めする存在に。

まとめ

今回の章は「偶然」という蜘蛛の糸がラスコーリニコフを“決行”へ絡め取っていく様子を描いていました。当人にしてみればただ事ではないかもしれませんが、はたから見るとドタバタコメディのようでもあります。
次はいよいよあの部屋のドアが開きます――善と悪、偶然と選択、その帰結がどうなるのか楽しみです。

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※この投稿は、ドストエフスキーの『罪と罰』をじっくり読みながら、感想や考察を記録していくシリーズの一部です。
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