【日々レビュー記】『罪と罰』[第1篇-5]:夢と決意、そして“偶然”の訪れ

罪と罰

酒に酔ったラスコーリニコフは、夢の中で少年時代の自分が、群衆に暴力を振るわれ死にかけるメス馬を目撃するという悪夢を見る。彼は馬を守ろうとするが、無力で何もできない。

目覚めた彼は、自身の精神状態に衝撃を受ける。「自分は本当に斧をふるって殺人を犯そうとしているのか」と恐怖に震えつつも、まだ葛藤の渦中にいた。

そんな彼の前に突如として運命的な出来事が起こる。町で偶然、ターゲットである金貸しアリョーナ・イヴァーノヴナの妹リザヴェータが、翌晩7時に家を空けるという情報を耳にしてしまう。これにより、ラスコーリニコフの中で決意が固まってしまうのだった。

🧠 感想と考察

夢に現れた「メス馬」と「少年」

この夢の場面は、ラスコーリニコフの心の奥底にある良心と暴力衝動のせめぎ合いを象徴的に描いたものといえるかもしれません。夢の中で現れたメス馬は、妹ドゥーニャや娼婦ソーニャのような“無力で搾取される女性たち”の象徴に見えます。そして、少年ラスコーリニコフが涙を流して馬を守ろうとする姿は、まさに彼自身の良心であり、「無力な正義」の姿である。

「ミコールカ」と群衆

一方、馬を殺す主犯であるミコールカ、そして無責任に囃し立て暴力に加担する群衆は、ラスコーリニコフが軽蔑する「下劣な大衆」の象徴であるはずです。しかし、夢から目覚めた彼は、そうした加害者側の立場に自分が立っていることを自覚し、激しく苦悩します。

このように、「無力な正義」と「下劣な大衆」の両方の立場に立ち葛藤している様子が夢として現れたと感じられました。

運命に見せかけた“偶然”の力

夢から目覚めたあと、彼は「やはり殺人などできるわけがない」と自分に言い聞かせる。しかしその直後、何気なく通りかかった町の一角で、まさに理想的な“犯行タイミング”の情報を耳にしてしまいます。

この偶然は、彼にとって幸運か不幸か判然としません。結果的に「もう自分の意志では抗えない」という決意を内面で確定させてしまいます。「運命」という言葉を使っていることからもわかるように、この作品全体に流れる“宿命性”が強く表れていると思います。

ラズーミヒンが登場しないことの意味

ラスコーリニコフの唯一の友人ラズーミヒンは、今回登場しませんが、彼に会っていれば状況が変わったかもしれないという考えが頭をよぎります。友達と会っていれば闇落ちしなかったのかな、と。ラズーミヒンは、社会の理不尽さに向き合いつつも堕落せず、他者との関係の中で生きようとする人物。もし彼の声を聞けていたら、ラスコーリニコフは違う選択肢を選んでいたかもしれないと考えてしまいます。

【登場人物メモ】

人物名役割・特徴今回の登場・関与
ラスコーリニコフ主人公。苦学生。夢で良心を痛め、現実で殺人を躊躇しながらも“運命”に導かれていく。
ミコールカ(夢の中)メス馬を殺す暴力的な百姓。夢の象徴的人物。理不尽な暴力の象徴であり、ラスコーリニコフの内面の加害者性とも重なる。
リザヴェータ・イヴァーノヴナ金貸しの妹。大柄でおとなしい女性。35歳。偶然の会話を通して、翌日の不在がラスコーリニコフに知られる。
アリョーナ・イヴァーノヴナ高利貸しの老女。計画のターゲット。登場しないが、殺人計画の中心に据えられている。
ラズーミヒンラスコーリニコフの友人。快活で親切。今回は未登場。会っていたら、という“もしも”が読者の胸を刺す。
少年のラスコーリニコフ夢の中の彼自身。メス馬に涙し、守ろうとする。良心と正義感の象徴。現在の彼との対比が痛々しい。
群衆(夢)酔っ払い・見物人など。メス馬殺しに加担。無責任で残酷な社会の象徴。ラスコーリニコフは彼らを軽蔑していたが……。
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※この投稿は、ドストエフスキーの『罪と罰』をじっくり読みながら、感想や考察を記録していくシリーズの一部です。
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