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ちょっと前に観た『熱海殺人事件』という映画が、今になってもじわじわ心に残っていて。
最初は「なんか舞台っぽいな〜」くらいの感想だったんだけど、最後に犯人が語る言葉があまりにもリアルで、静かに胸を打たれました。
事件の話なのに、なぜか「これは私の話かもしれない」と思わせられるような、不思議な余韻のある作品です。
舞台的な演出を超えて
映画『熱海殺人事件』は、一見すると奇抜で芝居がかった演出が目立つ作品です。
花束で叩く、狭いアパートがそのまま取調室になる、囚人が仕切る刑務所などなど。
まるで舞台をそのまま映像にしたような構造といえるでしょう。
けれどその「舞台っぽさ」を逆手にとって、物語の核心にある感情を強烈に浮き彫りにしてきます。変化球のような設定や演出の後に放たれる、犯人の独白という直球が胸に突き刺さるのです。
架空のキャラクターが語る、現実の痛み
「犯人は作られる」――そのテーマは作品全体を通して何度も浮かび上がります。本作では、犯人の語る殺人の動機が驚くほどリアル。
舞台も設定も演出も“嘘”であるはずなのに、その独白の中の心の傷だけは真実そのもの。なぜならそれは、「差別」について語られているからだ。
職業で、出身地で、容姿で。
生きている限り、何かしらの形で差別や偏見を感じたことのある人は多いでしょう。そしてその人々が、唯一の心の拠り所を奪われた時、何が起きるのか――。
本作の犯人は、仲間だと思っていた人に裏切られる。信じていた人に踏み躙られる。そして「だから殺した」と語る。
その感情が、見ている私たちにも伝わってくるから、胸が苦しくなる。身につまされる。だから感動する。
派手な事件 vs. 小さな本音
作品には、こんな対比も描かれています。
- 派手な事件と、小さくても人の心に寄り添った事件
- 事件の派手さにこだわる二階堂と、心を救いたい熊田
一見、真逆のように見えるふたりが、同じ人間の本音を照らそうとしているという共通点が見えてきます。
「人は派手じゃないと見向きしない」という皮肉も込めつつ、その“派手”を通して人の痛みを描く本作のやり方は、たしかに結果として人の心に光を当てているのかもしれないと感じました。
まとめ
『熱海殺人事件』は、演出も設定も極端ですが、その極端さの奥に、誰もが共感できる“人間の痛み”を描いているからこそ、強く胸を打ちます。
演技は見せかけでも、語られる想いは本物。それこそが、この作品の核だと感じました。
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